ギャルリー オルフェ

ルネラリックについて

ルネ・ラリックは、数多い20世紀装飾美術工芸の中で、フランスのアール・デコ期のガラス作家の巨匠として、 その名を歴史に残す人物です。しかし、それ以前の19世紀末から20世紀初頭にかけては、アール・ヌーヴォー(新しい芸術の意) を代表する宝飾作家としての名声を博してました。時はまさにアール・ヌーヴォー様式が流行している真っ最中で、彼が創り出した宝飾品の数々は、 それまでの宝飾界の常識を打ち破る斬新なものでした。ヨーロッパ各地で開催された国際博覧会で紹介される日本の伝統工芸品の繊細さ、 その構図の目新しさなどにルネ・ラリックも大きな影響を受けたのでしょう、べっ甲に似た水牛の角を使用して日本の櫛のような形の髪飾り をいくつも製作しました。また、自由に好みの色や形を作ることができるエナメル(七宝)細工の技術を駆使して昆虫や鳥、あるいは植物や神話上の人物等、 アール・ヌーヴォーのモチーフでネックレスやブローチなどを創り出しました。その名声は「アール・ヌーヴォーの勝利」とまで謳われた 1900年のパリ国際博覧会でまさに頂点を極め、そこで発表された多くの作品は世界中の美術館や収集家が争って買い求めたと言われるほどです。

しかし、そのラリックの創り上げた独特のスタイルも、やがては多くの模倣品を生み出すことになってしまいます。 ラリックはそれらにたいへん憤慨していたとも言われますが、その一方では、ごく一部の特権階級のための宝飾品の制作そのものに、 発展性の限界を感じていたのも事実のようです。
香水商フランソワ・コティは、1907年に女性の憧れの的であった宝飾家のルネ・ラリックに 香水瓶のデザインを依頼します。これがルネ・ラリックの後半生を決定づけた出来事であったことは非常に有名です。当時は人工香料が作り出されて、 香水はかなりの量産化がすすみ、一般に普及し始めた時代でした彼は香水という工業生産品のために、ガラスで自分の作品を創るついう、 いわば、美術工芸界と産業界のコラボレーションというものに未来の可能性を見いだしたのでしょう。

新しい世紀に入って、世の中は技術革新とスピード化が進み、あらゆる種類の新しい工業製品が生み出され、産業界は目を見張る発展を遂げていきました。そんな中でラリックは1911年にはヴァンドーム広場の店でガラスだけの展示会を開くに至りました。様々な新しいテクニックを開発していったラリックは、花瓶や鉢、あるいは彫像や照明器具へと、そのガラス作品のバリエーションを広げていきました。それらの作品は、金型を使用して量産することを前提に制作されましたが、これは質の低下を示すものではなく、むしろ繊細で柔らかな仕上げのもので、ましてや、1点1点の質の均一化が図られた、商業的に見てもすばらしいものでした。

時代は、アール・ヌーヴォーからアール・デコへ。1925年のパリで開催された現代装飾産業美術国際博覧会(アール・デコ博)で、ルネ・ラリックはパリ市の依頼によって、中央広場に高さ15メートルのガラス製の噴水を制作します。これが大きな話題となり、ラリックのアール・デコ様式のガラス作家としての評価が確立されました。そのほかにも、東京の朝香宮の私邸(現・東京都庭園美術館)にはガラス製の玄関扉を、ジャージー島の教会にはガラスの祭壇も作りました。こうした一連の活動で、ガラスを単なる工芸品の材料としてだけではなく、どんな形をも作り出すことができる無限の可能性のある建築材料として世に示したのです。これらは、ほんの一例にすぎませんが、ガラス作家としてのラリックの考え方はつねに未来に向けた革新的なものでした。