

ルネ・ラリック(René Lalique 1860-1945)は、20世紀装飾美術工芸史のなかで、フランスのアール・ヌーヴォー、アール・デコの両時代にわたる類い稀な巨匠として知られています。
ラリックは前半生である19世紀末から20世紀初頭にかけては、アールヌーヴォー(新しい芸術の意)を代表する宝飾デザイナーとしての名声を博しました。
時はまさにアールヌーヴォー様式の最盛期で、彼が創り出した宝飾品の数々は、それまでの宝飾界の常識を打ち破る斬新なものでした。ヨーロッパ各地で開催された国際博覧会で紹介される日本の伝統工芸品の繊細さ、その構図の目新しさなどにラリックも影響を受けたのでしょう、べっ甲に似た水牛の角を使用して日本の櫛のような形の髪飾りをいくつも制作しました。また、自由に好みの色や形を作ることができるエナメル(七宝)細工の技術を駆使して昆虫や鳥、あるいは植物や神話上の人物等、アールヌーヴォーのモチーフでネックレスやブローチなどを創り出しました。
ラリックの名声は「アールヌーヴォーの勝利」とまで謳われた1900年のパリ国際博覧会でまさに頂点を極め、そこで発表された多くの作品は世界中の美術館や収集家が争って買い求められたといいます。
ルネ・ラリックの創り上げた独特のスタイルも、やがては多くの模倣品を生み出すようになります。ラリックはそれらにたいへん憤慨していたともいわれますが、その一方で、ごく一部の特権階級のための宝飾品の制作そのものに、発展性の限界を感じていたとも伝えられます。
宝飾は永らくダイヤモンドなどの貴石を飾るためのものでした。そこにアールヌーヴォー様式がエナメルやオパールなどのまったく新しい素材と金属加工などの各種技術、東洋をはじめとした様々な文化に対する国際的な関心、そして芸術性の追求というアプローチを工芸の世界にもたらしました。
この工芸史上最大の革新の第一人者であったのが他ならぬラリックだったというのは歴史家の一致した評価です。時代の節目にあったパリで、ラリックはかつて自ら作り上げたアール・ヌーヴォー様式から離れ、新たな試みを始めます。

ラリックによるアールデコ様式のガラス工芸は、まず香水瓶(flacon)によって始まりました。
香水商フランソワ・コティは、1907年に女性の憧れの的であった宝飾家のルネ・ラリックに香水瓶のデザインを依頼します。これがラリックの後半生を決定づけた出会いとなりました。彼は香水瓶をただの製品としてではなく、そのなかに入れられる香水のコンセプトにあわせてデザインを施しました。
19世紀末から20世紀初頭にかけては人工香料の黎明期であり、香水は量産化がすすみ一般に普及し始めた時代であり、ラリックの試みは現代のブランド戦略やプロダクト・デザインを先取りした、まさに革新的なものでした。ラリックは香水という工業製品のために、ガラスで自分の作品を創るという、いわば、美術工芸界と産業界のコラボレーションというものにデザインの未来を見いだします。
1908年、最初の香水瓶の発表と同じくして、ラリックはパリ東南のコーム・ラ・ヴィルにガラス工場を構え、本格的にガラス工芸の制作をスタートさせます。

新しい世紀に入って、世の中は技術革新とスピード化が進み、あらゆる種類の新しい工業製品が生み出され、産業界は目を見張る発展を遂げていきました。
そんな中でルネ・ラリックは1911年にヴァンドーム広場の店でガラスだけの展示会を開くにいたりました。ラリックの代表的な技法であるオパルセント・ガラスをはじめとして、さまざまな新しいテクニックを開発していったラリックは香水瓶や蓋物(Boîte)に始まり、ラリックの代名詞ともいえる花瓶(vase)や彫刻(statue)の数々を世に送り出し、アールデコの時代精神を体現したカーマスコット(bouchon de radiateur)、そして建築や生活空間と調和した照明(lumiere)や生活雑貨の数々へと、そのガラス作品のバリエーションを広げていきました。
ラリックの作品は、いずれも金型を使用して量産することを前提に制作されましたが、これは質の低下を招くどころかむしろ繊細で柔らかな仕上げのもので、一点一点のクオリティの均一化が図られた、工芸的・商業的視点の両者が合致するというデザイン史上でも類い稀なガラス作品でした。

時代はルネ・ラリックと軌を一にするようにして、アール・ヌーヴォーからアールデコ(Art Déco)へと移り変わります。
1925年のパリで開催された 現代装飾美術・産業美術国際博覧会(Exposition Internationale des Arts Decoratifs et Industriels modernes)で、ラリックはパリ市の依頼によって、中央広場に高さ15メートルのガラス製の噴水を制作します。これが大きな話題となり、ラリックは新たな潮流を代表するガラス作家としての評価を確立します。この新様式は博覧会の略称にちなみ「アール・デコ」または「1925年様式」と呼ばれ、ラリックを筆頭として、工芸から建築、絵画、ファッションなど芸術全体に波及、ヨーロッパを席巻する一大ムーブメントへと発展します。
ラリックはアール・デコ博以外にも、東京の朝香宮の私邸(現・東京都庭園美術館)には女神像のガラスレリーフの玄関扉やシャンデリアを、ジャージー島(イギリス)のセント・マシューズ教会のガラスの祭壇(glass altarpiece)などでも重要なアール・デコ作品を制作します。
ラリックはこうした一連の活動を経て、ガラスを単なる工芸品の材料としてだけではなく、どんな形をも作り出すことができる無限の可能性のある建築材料として世に示したといえます。これらは、ほんの一例にすぎませんが、ルネ・ラリックの思想はガラス工芸やプロダクトなどの垣根にとらわれることなく、つねに未来に向けた革新的なものでした。機能重視に偏っていた現代デザイン史の再考がすすむ現在、芸術性と工業性の狭間に屹立するラリックの優れたデザインはあらためて脚光を集めています。
